「私は社会の裏側にいた人間ですし、どう思われても構わない。ただ、姉には何としてでも立ち直ってほしいんです。もちろん、姉のしたことは絶対に許されることではありません。しかし、私たちは血を分けた姉弟です。大切なものを守りたいという気持ちは誰でも同じなのではないでしょうか」
「家族の写真とかがありますから、自分が生まれた時から一緒だったんだと思います。はっきり覚えているのは、すごく優しい姉だったということです。おしゃれが好きで、私に女の子向けの服を着せてままごと遊びをしたり。枕元で寝付かせてくれたり。一緒に風呂に入ることもありましたね。
(中略)
母(Yさん)が姉のことを『NN』とか『Nちゃん』と呼んでいたので、私は『N姉ちゃん』なんて呼んでました。8歳も違いますからケンカすることもなかった」
「二人の名前をつけたのはMさんなんですが、Nちゃんの『N』、それから『T』という字も、近しい組長や組織の名前の文字をもらっているんです」
「家族旅行は何度も行きましたよ。湯布院、雲仙、夏になると海水浴に青島(宮崎)とか。ただ、若い衆がいつも一緒だった。子供たちへの影響?やっぱりあったかなあ。特に覚醒剤についてはね。よく家に中毒の組員が来とったんです。一度、その奥さんがあまりにも酷いんで、いわゆるシャブ抜きの旅行に八女(福岡)まで行ったことがある。その時はNちゃんも一緒でした。ヤク中の人間は怖くてねえ。挙動不審やけん。私はヤクザの妻だからって割り切っているところもあったけどさ……」
「十代半ば、私は東京に預けられていて、渋谷でチーマーをやっていた。その時の仲間からTさんの評判は聞いていました。必ずしもよいものばかりではなかった。でも、姉が選んだ人なんだから、姉の目を信じたかった」
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