貧乏の人無い村 沒有貧窮人的村莊
雜沓を極めた大阪市、大廈高樓軒を並べた大東京市等の見學も大に結構ですが矢張り蕃山に育つた私共は、私達の生活に最も近い農村の見學に興味を覺えます、この意味に於ましての岡山縣高陽村の見學こそ私達に最も印象深意ものがありました。
京都を出發して岡山に着きましたのが午前の十一時、そえれり自動車をかつて高陽村にと走りました。
着いてから先づ驚きした事は、副業の盛なのことですた。養雞、養豚は勿論のこと、少しの無駄もなく空地を利用してり居りますし、その上產業組合の合法的な經營、血のにじみ出る様な努力等に依りましてあの一昨年來の不作に關らず一人の貧困者も出さなかつたと言ふことを伺つて真にうらやましい限りでした。
新興ドイツが僅二十餘年であれ程にまで立派になつたのはヒツイトーのなやうな適當な指導者を得たことゝ尚ほ一つには青年團の活躍か與て力あつたと言はれますが、此の高陽村もこの立派な村長されの下に、青年團の方々が總て心を協せ、血みどろの活躍を續けられた結果、數前年迄の貧乏村が、斯様に一躍天下の模範村となつたことゝ思はれます。我が阿里山地方も、皆の者が心を協せて一生懸命働けば、此の半分位の優良村になれるのではないかと思ひます。
非常難的一段日文
請幫我翻譯
不可用翻譯網頁直接轉然後複製貼上
應該要日文很厲害的人才番的出來吧
謝謝