✔ 最佳答案
(先旨聲明)栗林忠道大將,係有參加入侵香港行動
栗林忠道くりばやし ただみち、明治24年(1891年)7月7日 ‐ 昭和20年(1945年)3月26日)は、日本陸軍軍人
陸軍大将従四位勲一等
一般人都以為栗林係中將,其實係佢死前幾日(17日)已經昇格大將(史上最年輕大將)
長野県埴科郡旧西条村(現長野市松代町)出身,戰國時代武士血緣,同山本五十六一樣留學美國及亦係駐美武官,佢亦係陸軍入面少數反對同美國開戰軍官
戰後,戰史家日本國內美國名將等,對佢亦有好高評價原因係栗林係一位合理主義者,佢禁止自軍作出自殺攻擊行動,加上佢積極備戰作戰前大規模地下陣地構築重炮架設,使佢面對美軍三倍兵力及物資情況下一樣可以作出持久戰鬥,使美軍係大戰後期受到重打擊,最後因為彈盡糧絕情況下才作出突擊
簡歴
明治44年(1911年)
3月 旧制長野県立長野中学校第11期卒業。
大正3年(1914年)
陸軍士官学校第26期卒業。騎兵将校となる。
大正7年(1918年)
7月 陸軍騎兵学校乙種卒業。
大正12年(1923年)
8月 陸軍騎兵大尉に昇進。同年11月陸軍大学校35期次席卒業時に恩賜の軍刀を授与される。
12月 結婚。
昭和2年(1927年)
武官補佐官としてワシントンD.C.に駐在。軍事研究のためハーバード大学に学ぶ。
昭和5年(1930年)
3月 陸軍騎兵少佐に昇進。
昭和6年(1931年)
8月 カナダ公使館付武官となる。
昭和8年(1933年)
8月 陸軍騎兵中佐に昇進。
昭和12年(1937年)
8月 陸軍騎兵大佐に昇進。兵務局馬政課長となる。
昭和14年(1939年)
軍歌「愛馬行進曲」の選定に関わる。
昭和15年(1940年)
3月 陸軍少将に昇進。
軍歌「暁に祈る」の制作に関わる。
昭和16年(1941年)
12月 第23軍参謀長として香港攻略戦に参加。
昭和18年(1943年)
6月 陸軍中将に昇進。 留守近衛第2師団長となる。
昭和19年(1944年)
4月 師団厨房で起きた失火の責任を取り、師団長を辞す。東部軍司令部付。
5月27日 第109師団長となる。
6月8日 硫黄島に着任。
7月1日 小笠原兵団長兼任。兵団司令部を硫黄島に置き同島守備の指揮を執る。
昭和20年(1945年)
2月19日 米軍、硫黄島上陸開始。
2月23日 擂鉢山独立拠点、米軍占領。
3月16日 大本営に訣別電報打電。
3月17日 特旨を以て陸軍大将昇進(史上最年少)。
3月26日 最後の総攻撃により戦死。享年53。総攻撃に際し、階級章を外して参加したため、現在でも栗林の遺体は確認・発見されていない。
昭和42年(1967年)
旭日大綬章受勲。