可唔可以幫我將下面個d字詞解番做羅馬拼音

2006-11-09 2:55 am
[玉 ] [落っ] [分 ] [陽] [ 残っ][追 ] [見]
[心臓] [始] [時] [嫌] [人] [場所] [目印 ]
[様] [守] [続] [汚] [保っ] [手] [気付]
[必] [僕] [出会][同][鼓動][音]
[呼] [理由][重] [揺] [時][生]
[知] [存在] [限] [仕方無] [取][果]
[陽] [入][落][何] [弾][出]
[奪] [取っ][光][浴] [数] [足跡]
[数字] [無] [知][事] [ 1 ] [0][間]
[初僕] [出会] [同] [悲鳴] [旗][目印]
[忘] [呼] [重] [二人] [埋] [汚手]
[約束] [交] [鏡][互][映] [為]
[触] [合っ] [形] [解][内側] [取っ]
[確] [一人分] [居] [忘] [呼][意味]
[方] [必] [沈] [十字架][建] [約束]
更新1:

另外仲想問...カルマ 點解...十萬個thx

回答 (1)

2006-11-10 3:52 am
✔ 最佳答案
日文漢字有音讀, 訓讀兩種, 幾時用邊種讀法要睇上文下理, 所以單獨問一堆漢字的拼音是沒有意義的. 問題中的漢字係取自一首歌嘅歌詞. 紅字係假名加讀法.

ガラス玉(たま=TAMA)一つ落とされた 
追いかけても(おいかけても=OIKAKETEMO)一つ落っこちた(おっこちた=OKKOTITA)
一つ分(ぶん=BUN)の陽だまり(ひだまり=HIDAMARI)に一つだけ残ってる(のこってる=NOKOTTERU)

心臓(しんぞう=SHINZOU)が始まった時(はじまったとき=HAZIMATTATOKI)
嫌(いや=IYA)でも人(ひと=HITO)は場所(ばしょ=BASHO)をとる
奪われない様(よう=YOU)に守り続け(まもりつづけ=MAMORITUDUKE)てる

汚さず(よごさず=YOGOSAZU)に保って(たもって=TAMOTTE)きた 手でも汚れて見えた
記憶を疑う前に 記憶に疑われれてる

必ず(かならず=KANARAZU)僕(ぼく=BOKU)らは出会う(であう=DEAU)だろう
同じ鼓動(おなじこどう=ONAZIKODOU)の音(おと=OTO)を目印(めじるし=MEZIRUSHI)にして
ここにいるよ いつだって呼んでる(よんでる=YONDERU)から
くたびれた理由(りゆう=RIYUU)が重なって(かさなって=KASANATTE)
揺れる(ゆれる=YURERU)とき 生まれた(うまれた=UMARETA)意味を知る

存在(そんざい=SONZAI)が続く限り(かぎり=KAGIRI)
仕方無い(しかたない=SHIKATANAI)から場所を取る(とる=TORU)
一つ分の日溜りに二つはちょっと入れない(いれない=IRENAI)

ガラス玉一つ落とされた 落ちたとき何(なに=NANI)か弾け出した(はじけだした=HAZIKEDASHITA)
奪い取った(うばいとった=UBAITOTTA)場所で光(ひかり=HIKARI)を浴びた(あびた=ABITA)

数えた足跡(かぞえたあしあと=KAZOETAASHIATO)など気付けば(きづけば=KIDUKEBA)数字(すうじ=SUUZI)でしかない
知らなきゃいけない事(しらなきゃいけないこと=SHIRANAKYAIKENAIKOTO)はどうやら「1」と「0」の間(あいだ=AIDA)

初めて(はじめて=HAZIMETE)僕等は出会うだろう
同じ(おんなじ=ONNAZI)悲鳴(ひめい=HIMEI)の旗(はた=HATA)を目印にして
忘れないで(わすれないで=WASURENAIDE) いつだって呼んでるから
重ねた(かさねた=KASANETA)理由を二人(ふたり=HUTARI)で埋める(うめる=UMERU)とき
約束(やくそく=YAKUSOKU)が交わされる(かわされる=KAWASARERU)

鏡(かがみ=KAGAMI)なんだ僕ら互いに(たがいに=TAGAINI)
それぞれのカルマを映す為(うつすため=UTUSUTAME)の
汚れた手(よごれたて=YOGORETATE)と手で触り合って形(さわりあってかたち=SAWARIATTEKATATI)が解る(わかる=WAKARU)

ここにいるよ 確かに(たしかに=TASHIKANI)触れるよ
一人分(いちにんぶん=ITININBUN)の日溜りに僕らは居る(いる=IRU)

忘れないで いつだって呼んでるから
同じガラス玉の内側(うちがわ=UTIGAWA)の方から
そうさ 必ず僕等は出会うだろ
沈めた(しずめた=SHIZUMETA)理由に十字架(じゅうじか=JUUZIKA)を建て(たて=TATE)るとき 約束は果たされる(はたされる=HATASARERU)

カルマ(業),東方宗教一個普遍的觀念。印度傳統宗教包括印度教、錫克教、佛教、耆那教都有業力的觀念,業力是組成因果關係的原素.


收錄日期: 2021-04-23 12:57:20
原文連結 [永久失效]:
https://hk.answers.yahoo.com/question/index?qid=20061108000051KK03094

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